長野県南佐久郡の山間にある佐久町大日向はかつては「大日向村」と呼ばれ、昭和13年、全国で初めて村の半分という大規模な開拓団を旧満州へと送り出した。
その出来事は模範的な農村の姿として賞賛され、小説や劇、映画まで製作された。
このことによって、それまでは名もない一山村であった「大日向村」の名は、一躍日本国中に宣伝され、以後政府は、全国から多くの満州移民を送り出していった。
満州大日向村は開拓のモデルケースとされたために、いわば現地の人々から奪い取った広大な土地を与えられた。
ところが、敗戦によって、わずか8年足らずで大日向村の「王道楽土」に夢は崩れ去った。
満州大日向村を脱出した人々は、長春(旧新京)での一年近い難民生活の間に団員(674名)の半数以上が亡くなり、昭和21年9月、やっとの思いで母村長野県大日向村に引き揚げてきた。
移民した際に財産は一切処分していたために、ボソンに長く留まることが出来ず、昭和22年2月、65戸165名の人々は再び故郷を離れ、もう一つの大日向―軽井沢町大日向をつくった。
こうして現在、長野県に二つの大日向がある。
この映画は、昭和59年夏“幻の映画”と呼ばれていた
劇映画「大日向村」が発見されたことをきっかけに
二つの大日向を訪れ、満州に移民した人々を訪ね、
戦争で国の政策に翻弄された
彼らの凄まじい経験を記録したものである。